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エンターテイナー ROLLYさん

昭和57年電子科卒業。 ロックバンド「すかんち」のボーカルとしてローリー寺西の名でデビュー。2010年(平成22年)にデビュー20周年を迎え、今迄の音楽活動に留まることなくミュージカルや舞台、シャンソン、音楽プロデューサーなど幅広い分野で活躍するエンターテイナー。個性的な活動は多くの人々の興味関心を惹きつけ今後の活躍も期待される。

 
 

2010年にデビュー二十周年を迎えたROLLYさん。高校時代を浪工で過ごし、今はひとつの活動に留まることなくミュージカルやシャンソンなど多様なジャンルの音楽活動で活躍する『個性派』ミュージシャン。それは総合学園である今の星翔高校に通じるところがあります。その活動の原点となった学生時代について2時間にも亘り快く取材に応じてくださいました。
(インタビュー:庄山由多加  2010年8月・大阪心斎橋にて)

 
 
※肩書きなどの記載内容は、取材時のものです。
 

――浪工に進学された理由を教えて下さい。

 

 実家が電器店を経営していたこともあり、父が電子の世界が好きな人だったので、「これからはコンピュータの時代だ」と勧めてくれて電子の世界を覗こうと入学を決めました。当時のぼくにとって浪工は謎に包まれている学校だったので、志願兵として進学しました(笑)。

 

――電子の世界を覗こうというのが当時は先端を行っていたと思うのですが?

 

 子どもの頃に抵抗やコンデンサーをつないで色々な装置を作れる実験装置の「電子ブロック」で遊んでいたこともあり、自分には電子工学の世界がいいのではないかと思っていました。

 

――電子科での思い出を教えて下さい。

 

 実習が休みなく四時間あったのが印象的で、今まで小中学校通じて長時間連続の授業体験がなかったため、結構厳しいなとも思いましたが、普通の学校に通う学生に比べてすでにプロの世界を匂わせる、とても身のある授業だったと今では思います。
 測定の実験や専門的な電子工学の基礎から教えていただきました。普通の学校に比べて浪工の先生はとても厳しく指導して下さり、面倒見の良い学校でした。劣等性のぼくはそれになかなか応えられずにいましたが(笑)。

 

――課外活動の思い出を教えて下さい。

 

中学でもギターをやっていたこともあり、浪工では担任の岡部先生に軽音楽部への入部を相談しました。岡部先生から音楽部顧問の市場先生を紹介され、当時休部状態だった音楽部の再興を自ら志願し、一年生で部長になりました。部長の証であるトロンボーンのバッチを制服につけて誇りにしていました。すでにオリエンテー ションで仲間を見つけていたので、三人で新生音楽部をスタートさせました。当時普通科棟の横にあった武道館の部室は最初はホコリだらけで、他のメンバーも音楽初心者だったこともあり苦労しました。しかし練習を続けて行くうちに見学者が増えて行き、少しずつ部員も増えて行きました。音楽のムーブメントがまだなかった浪工にも、音楽好きは実はいたんです。
 ぼくは常に音楽部の再興を考えていましたね。私は当時なかったボーカルアンプとベースアンプが欲しかったんですが、顧問の市場先生に一喝されました(笑)。そこで社会福祉活動に参画することを提案しました。成功すれば、買ってもらえるかな、と(笑)。老人ホームの方々の前 で、「猟奇納骨堂」というあえてシュールなバンド名で、更にはかなりマニアックな格好で登場したのですが、意外と皆さんに喜んでいただけて。おかげさまでアンプを買っていただきました。
 課外活動で上級生や下級生、先生と連帯感を学びました。いつも市場先生が相談に乗って下さいました。当時から面倒見の良い先生がとても多かったと思います。

 
 

――思い出深い出来事はなんですか?

★体育祭と文化祭の思い出

 

 一年生の時、体育祭で、「我々音楽部は吹奏楽で校歌を演奏して差し上げよう」と市場先生に提案して、実際に演奏することになったんです。本当はマスゲームの練習が嫌で、それを理由に練習を避けたい一心で提案したんですが(笑)。
 ぼくは反抗期に反抗的な態度を取ることはある意味素直な行動だと思っていました。だからこそ反抗期にあえて反抗しないことこそが反抗であると考えていて、参加をボイコットするのではなく、いかに違う方法でそれを切り抜ける方がクールではないかと考えていたんです。
 多くの仲間を集めて、楽譜が読めない仲間と共に耳でコピーして、独自のアレンジで演奏しました。これがとても好評で二年生のときも演奏したのですが、校歌を強烈なロック調にアレンジしすぎまして…。三年生の時はマスゲームに参加してましたね(笑)。
 文化祭も思い出深いです。一年に一度だけ私が光り輝く瞬間だと思っていました。ぼくは実は使命感に燃えていたんです。何に対しても無関心な生徒も多かったですが、何の目標もなく学園生活を送るのではなく、ぼくがこの学園にロックンロール旋風を巻き起こしてやろうと企んでいました。

 

★エッサッサの思い出

 

 浪工はとても厳しい学校でした。ですが、浪工に行ってとても良かったと実は思っているんです。というのも、皆さんが大好きなエッサッサ。あれにはたまげました(笑)。初めて見たときに、とんでもない学校に来てしまったな、と(笑)。
 ああいう厳しさがなかなか他では味わえないので、いい思い出になっています。あの頃はエッサッサの試験に合格しないと卒業できないという時代でした。でも三年生の時、当時体育を担当していた吹田先生が逝去され、なんとなく最後の試験がうやむやのままで終わってしまった印象だったんですよ。それがすごく心残りで、あれはいつかちゃんとやらなければいけないなと思っていました。
 そんな時にテレビの収録で母校を訪ねる企画があったので、当時校長になられていた体育の大安先生に「エッサッサの試験をちゃんとやっていなかったような気がするので、もう一度やらせて下さい」と志願したんです。「やってみろ」ということになり、体育教官室の前で、見事な、究極の自分のロックンロール魂を込めたエッサッサを披露し ました。その時にぼくは見ました。あの恐ろしく怖くて恐怖の大安先生が泣いていたんです。あんなに生徒が嫌がっていたエッサッサを、あの変な寺西がわざわざやりに来た。大安先生は涙を溜めて「合格です」と。大安先生の教師生活において、自分の指導は間違ってなかったと確信させられたのではないでしょうか。男の美しい涙にぼくも感動しました。
 ぼくはいまだに気合を入れる時にエッサッサをやるんですよ。浪工で叩き込まれた厳しさや礼儀というものはぼくの基礎になっています。

 

★浪工山の家の思い出

 

 浪工は蓼科に山小屋を持っていたので、修学旅行で泊まりに行ったんです。しかも朝六時に叩き起こされ山の中を全員パンツ一丁で走った後にエッサッサをやるんです。これが、いい思い出なんです(笑)。その時は嫌でしたが、なまぬるい学園生活ではなく、男子だけの世界で三年間厳しくしつけられ、浪工精神を叩き込まれたことは「浪工に行ってよかった」と今では心から思います。厳しさを乗り越えて卒業できた喜びは、他の学校では味わえない達成感だと思います。

 

――印象的な先生について教えて下さい。

 

 音楽部の顧問の市場先生がとても話のわかる先生だったので、思い出深いです。
 電子科の行澤先生はいつもおしゃれな銀色のスーツをお召しになられて、とてもダンディーで威圧的でした(笑)。浪工の先生はファッションも個性的な方が多かったように思います。
 そして美術の岡本先生が特に印象的です。とてもおしゃれで話の合う好きな先生でした。当時上映されていた映画「旅の重さ」を紹介していただき、実際に映画館で観て、いい映画を紹介していただいたと尊敬していたんです。
 岡本先生への評価が輝きを持つことになったのは、前衛舞踏家の田中泯さんとジャズドラマーのミルフォード・グレイヴスを浪工に呼んだことです。全身真っ黒に塗った田中泯さんと一緒になってパフォーマンスを繰り広げられる生徒がいたら、美術の成績で最高得点与えようという粋な計らいもあり、ぼくは友人と共に参加しました。それがすごく強烈な印象に残っていて、このパフォーマンスの授業は人生を左右するぐらい、鮮烈に覚えています。
 岡本先生は浪工という学校においてアバンギャルドでした。自分の音楽の世界においての立ち位置を決めるような存在で、忘れられません。

 

――今の星翔高校について何かありますか。

 

 ぼくの在学当時から浪工が共学になるという噂があって、当然ぼくの在学中は唯の噂だったのですが、卒業して年数が経った後に学校名が星翔に変わり共学になったというのは驚愕の事実でしたね。

 

――最後に一言おねがいします。

 

 浪工で教えていただいた礼儀や規律は勿論、エッサッサによって根性を叩き込まれ、三年間厳しくしつけていただいたことは、今の自分のベースになっています。
 これからも、出来る限り母校に貢献し、いつまでも「彼は浪工の卒業生だ」と言ってもらえるよう頑張ります。浪工では劣等性でしたが、こうして浪工会のインタビューをさせていただけて光栄の極みです。
 浪工から星翔高校に変わりましたが、“浪工スピリッツ”を忘れずに互いに頑張っていきましょう。

 
 
 

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